目の前で起きた悲惨な事件の写真を携帯電話で撮っている人をあなたはどう思いますか−。こんな問いかけから誠実さや責任ある行動について考える道徳の授業が行われた。六月の秋葉原無差別殺傷事件を題材に、新聞記事を使って、事件現場で写真撮影する群衆について話し合った。
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秋葉原事件の紙面の前で自分の考えを円グラフ状のカードで示す生徒たち。右は阿部教諭 |
北海道道徳教育研究大会が十七日、札幌コンベンションセンターで開かれ、この公開授業として札幌市立宮の森中の阿部晋也教諭が同校二年生に対して行った。
授業の主題は「公正、公平な心」。まず、秋葉原事件を伝える六月九日の北海道新聞の紙面を掲示。さらに、現場にいた人たちが写真を撮る場面について論評した六月十八日の北海道新聞の記事を読んだ。
記事は「現場に居合わせた人でなければ撮れない貴重な映像もあるだろうから一概に否定できない。しかし、被害者の友人が『たまらなく嫌な気分になりました』という携帯のカメラの放列という光景をどう考えたらよいのだろうか」と書いている。
生徒は紅白の二枚の丸い紙を組み合わせて円グラフのように白い部分と赤い部分が変えられる「心情円盤カード」を手に掲げ、写真を撮っていた人の気持ちが理解できると赤い部分を多く、そうでない場合は白を多くして自分の考えを示した。
写真撮影が理解できるという生徒からは「写真を撮って捜査に協力している」「気になるので写真を友人に送りたい」「好奇心がある」などの意見が出された。
一方、理解できないという側は「『やめて』と言われても撮るのは信じられない」「なぜ写すのか不思議。他人の気持ちが考えられない人だ」と主張した。
阿部教諭は「写真撮影していた人に足りないものは何だろう」と問いかけ、被害者の心情に配慮を欠いた行為であることに気づかせた。さらに、「こうした人たちが私たちのクラスで増えたらどうなるだろうか」と聞くと「けんかやいじめをやめさせようとする人がいなくなる」という声があがった。
最後に阿部教諭は「その場の勢いに流されてしまうこともあるけれど『やめろ』と言ってくれる人もいる。その時どう受け止めるかが大事」と、さまざまな場面で相手の立場に立った誠実な行為や言動が社会や集団では大切なことを強調した。
阿部教諭がこうした授業を設定したのは、自分の興味を優先し、周囲にお構いなしの行為は、いじめの場合では、当事者でなければ無関心を装うことに通じると考えたからだ。被害者でも加害者でもない周辺の人々の行為を取り上げたのも「生徒に傍観者でいてほしくない、かかわりを持ってほしいから」と言う。
また授業の資料に新聞記事を用いたことについて、ともに授業の指導案を考えた同校の鈴木康裕教諭は「新聞記事はタイムリーで物語性もあり、授業で使うことで新聞を読むきっかけにしたかった」と説明している。